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    2024年10月15日 13時00分

    ベールを脱いだAWS、ウォール街が驚愕した日 アマゾン・ドット・コム⑥ Buy&Hold STORIES-4-

    Buy and hold Stories

    アマゾン・ドット・コム<AMZN>
    第2章Part6


    第2章 株価低迷期にアマゾン躍進を担う2大プロジェクトが始動!


    6. ベールを脱いだAWS、ウォール街が驚愕した日


    【タイトル】
    ※株価単位はドル。株式分割を考慮後の修正値


    "陰の主役"AWS……秘密裏に立ち上げられたクラウド・サービス

     まばゆい光が当たるテック界のアントレプレナーたちと比べて、注目を集める機会が減っていた2000年代半ばのアマゾン・ドット・コム<AMZN>。だが、電子書籍元年の号砲を鳴らした「アマゾン・キンドル」の発売によって、再びジェフ・ベゾスと同社は表舞台へと帰ってきた。それ以降、アマゾンは本業のEC事業の範疇を超えて、様々な新製品や新事業を発表し、その度に世界の注目を集めるようになっていく。

     そうした華々しい動きの陰で、その後のアマゾンの躍進を支える、より重要なプロジェクトが着々と進んでいた。02年にベゾス肝いりのプロジェクトとして研究を開始し、のちに「マーケットプレイス」「プライム」とともにアマゾン事業の3本の柱と称され、利益の過半を稼ぎ出すことになる「アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)」だ。

     マイクロソフト<MSFT>の「ウィンドウズ」や、アップル<AAPL>の「iPhone(アイフォン)」のようなコンシューマー製品ではないため、世間一般の認知度は低いかもしれない。だが、このAWSの登場は、その後のアマゾンの運命を変えただけではなく、インターネット社会をさらに一段進化させた、世界を変えるイノベーティブな出来事だった。そして、ソフトウェア技術者はともかくとして、株式市場関係者たちがそのことに気が付くのは、それからかなり先、2010年代も半ばを迎えようとした頃だった。

     そもそも、アマゾンを創業する前にインターネットの無限の可能性に気づき、それを人生の主戦場に選んだベゾスは、アマゾンをテクノロジー企業であると認識していた。マイクロソフトやアップル、インテル<INTC>などのように、テクノロジーの最前線に挑み続ける企業でありたいと望み、周囲からもそう思われたいと願っていた。

     ところが当時は、多くの人がアマゾンをテクノロジー企業ではなく、小売り企業だと見なしていた。実際、ドット・コム・バブル崩壊後の数年間は、優秀な技術者たちが次々にグーグル(現・アルファベット)<GOOG>やアップルなど、最先端のテクノロジーを追求していると世間が認める競合企業に転職していた。ベゾスがいくらそう自負しようとも、アマゾンはネットの世界で最高の場を求める者が選ぶ企業とは目されていなかったのだ。この認識が一変するのは、AWSが正式公開されて以降である。

     いまでは一般的になったクラウド・コンピューティングの概念は、2006年8月に開催された「サーチエンジン戦略会議」で当時のグーグルCEO(最高経営責任者)、エリック・シュミットによって提唱され、世界に広まった。雲のように無限に広がるコンピュータ・ネットワークによって、サーバー、ソフトウェア、データベース、ストレージ(データ保管場所)など、あらゆるネットワーク資源を、誰もが、どの端末からでも利用することができる、という次世代のネットワーク社会像を示したものだ。

     だが、そんな言葉がない時代に、クラウドの先駆けとして研究開発が進められたのがAWSだった。プロジェクトの発端はなんだったのだろうか。いま、一般的に言われているのは、繁忙期の出荷量を処理するためにアマゾンが備えていた膨大なサーバーのコンピュータ処理能力のうち、繁忙期以外の時期に空いた容量を有効活用しようとしたことがきっかけという説だ。確かにベゾスのそうした発言はあったようだ。だが、ブラッド・ストーンは 『ジェフ・ベゾス 果てなき野望』(日経BP社刊)で、「そうすると毎年秋に社外の開発者たちをサーバーから追い出さなければならなくなる」という社員の否定的な見解を紹介している。

     一方、アマゾンの元社員で当時、開発に携わったダン・ローズは2021年に自身のツイッター(現X)で、AWS誕生のもう一つのきっかけを記している。ドット・コム・バブル崩壊で危機的な財務状況だったアマゾンが、大幅なコスト削減のために実行したサーバー切り替えである。それまで使用していたサン・マイクロシステムズ(その後、オラクル<ORCL>に吸収合併)のサーバーからHP(ヒューレット・パッカード・エンタープライズ<HPE>)のリナックス・サーバーに自社システムを切り替えたのだが、この切り替えは、開発現場では「失敗すれば会社が倒産するかもしれない」とまで言われたリスクの大きな挑戦だったという。しかしこのチャレンジは実を結び、一気に低コストで拡張性の高いサーバーの運用体制を構築することができた。それを見たベゾスが思いついたのが、社内のどこからでも、必要な時に自社のコンピュータ資源にアクセスできるようにAPI(ソフトウェアやプログラムをつなぐためのインターフェイス)連携のシステムを構築することと、サーバー余力の外部への開放だったという。

     2000年代初頭、当時のアマゾンには、"火の車"だった財務問題以外にも大きな課題があった。年々爆発的に増え続ける出荷量、広がり続ける事業範囲を、ハードとソフトの両面で制御することが困難になっていたのだ。ハード面、つまり物流現場の改革については、物流担当役員、ジェフ・ウィルケが奮闘していたが、ソフト面、つまりITインフラでも大胆な改革なしには立ち行かない状況に陥っていた。

     AWS部門の子会社、AWSジャパン元社長の長崎忠雄(現OpenAI Japan社長)は2014年の講演で、このサービスの起源についてこう語っている。

     「小さな企業が急激に成長しているのに、ITインフラ側がまったく追いつかなかったのです。そこで、営業現場が、『サーバーを増強したい』と言ったときに、ワンクリックでできるようにしようよと。つまり社内のコンピュータ・インフラを強化するために、エンドユーザーとして、このクラウド・コンピューティングというソフトをつくった。それを、アマゾンを取り囲む開発者の方々に開放したら非常に評判が良いので、これは世界のお客様に使ってもらわない手はないということで、事業化したということです」
     
     もう少し補足すると、従来のITインフラでは、OS(オペレーティング・システム)、データベースといったソフトウェアにしても、PC、データセンター、ストレージといったハードウェアにしても、コンピュータ資源を利用するには、それぞれを購入して、自分たちで管理しなければならなかった。こうした仕組みをオンプレミスと言い、例えば、コンピュータの処理能力を増強しようとしたら、まずソフトウェアを有料で購入し、高額なサーバーを買い、どこかのデータセンターを探して利用料を払って設置しなければならなかった。この仕組みではITインフラを改良しようとすると膨大なコストと時間が必要になってしまう。だが、売上高だけは年々、飛躍的に伸びていながらも株価が低迷していた当時のアマゾンでは、そんなことをしている時間的な余裕も予算もない。ではどうするか。
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